江頭淳夫先生

私が入学した大学は理工系大学でした。しかし、入学して少しすると残念ながら自分に理工系の能力や才能があまりないことに気づいたため、授業にもあまり興味がもてませんでした。そんなこともあって、各タームごとの講義概要(シラバス)も斜め読みしていましたが、ある時、選択科目である社会科学科目の中に、江頭淳夫(えがしら あつお)教授の日本国憲法論という講義があるのを見つけました。

理工系大学に入学する位ですから、憲法などといったものに全くと言ってよいほど興味はありませんでしたが、”日本国憲法の成り立ちを検証することによって現代日本における思想を考察する”という講座概要が気になり履修登録しました。講義初日に出席すると、案の定、とても小さな教室に学生はパラパラとしかいない状況でした。

江頭先生は当時50代前半の小柄な紳士でしたが、強い眼差しでまっすぐに前を見つめ、はっきりした力のある声で学生に語りかけるようにして講義を始めました。まず、各学生には米国国立公文書館などで収集された日本国憲法制定時の米国政府側資料のコピーが渡され、この資料を検討するという課題が与えられました。渡されたのは全て英文資料で、しかも厚さが数センチもあるような量です。江頭先生は一次資料を検証することの重要性を力説しましたが、面食らった学生も多く、講義が進むうちに出席者はみるみる減っていきました。私も面食らいましたが、なぜか面白そうと思い、資料研究を進めながら毎回講義に出席しました。

ただ悲しいかな、社会科学分野の基礎がないため、私の資料読み込みレベルは低く、また考察も甘いものでした。しかし、江頭先生は資料読解について信じられないほど丁寧に指導してくださり、一次資料やそこに現れた事実への執着をもつことを強く教えられました。また、読解した資料から、日本国憲法制定時に米国政府がどのような考えであったと考察できるかと繰り返し問われ、問答の中で妥協せずに思考することの必要性を教えられました。

江頭先生は「江藤淳」というペンネームで知られる戦後を代表する文芸評論家、文学者です。その当時は江頭先生のそうした名声すらよく理解できていない若造でしたが(江藤淳が当大学の教授だということすら知らない学生が殆どでした)、江頭先生の講義で学んだことは、その後の私の人生、特に弁護士になってからの自分にとても大きな意味をもっています。

私が受講した江頭先生の講義は「江藤淳『一九四六年憲法 – その拘束』」として先生が出版された論考に関連しています。この書籍は現在でも入手できます(⇒文藝春秋社のウェブサイト)。一般に「押しつけ憲法」論と言われるものですが、そのような浅薄な用語で呼ぶことには躊躇を感じます。江頭先生の当時の言葉に、憲法を日本に「押しつけた」米国への憎しみや、憲法自体の善し悪しの意見や主張を感じたことはありません。先生が強調していたのは、事実や歴史を客観的かつ冷徹に検証し、その上で、価値観を誰かに与えてもらうのではなく自ら責任もって判断することの重要性でした。このことは今も私の中に常にあります。

30数年前、最後に私が提出したレポートを江頭先生に細かく講評してもらったときのことは忘れられません。先生が付けてくださった成績は私が大学で得た成績の中で最も良い点数でした。

江頭先生が突然亡くなられてから既に20年以上が経ちました。先生がおっしゃっていたことの意味をようやく理解できるようになってきた気がします。このところ江頭先生に指導してもらっているときのことを夢で見たり、張りのある先生の声を思い出すことが多くなりました。先生に感謝しつつ、弁護士としてなすべきことを正しく行っていこうと思います。

林 康司